桜の頃
学生相談室カウンセラー 渡里千賀
新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
在学生の皆さんも、立場が変わっての新たな一年のはじまりですね。
皆さんにこのお便りが届く頃には、桜は咲いているでしょうか。桜と言えばソメイヨシノが有名ですね。一般的な植物は、まず葉をつけ光合成をしながら栄養を蓄え開花し、実をつけていきますが、ソメイヨシノは葉より先に花をつけます。
葉が1枚もない枝に咲く花はとにかく目立つので、虫や鳥たちに見つけてもらいやすく、受粉しやすいそうです。
開花に必要な栄養を前の年から一年かけて幹や根に蓄えます。また、花が一斉に咲いて間を置かず散ってしまうのにも意味があるそうです。
ためていたパワーを短期間で効率よく使い、繁華街のネオンのように目立つことで虫や鳥を呼び寄せるのです。
仕事を終えた花は散りやすいように離弁花になっていて、早く落ちて、翌年の準備のために葉に生きるための場所を譲り渡します。華やかに見えますが、実は準備周到な植物の生存戦略の一環なのです。
この数年、コロナによって私たちの生活は大きく変わり、今もなお変化し続けています。変化についていくのに疲れが出ていませんか?
絶え間なくアンテナを張りつつ、変化に対応し続けるのには相当なパワーが必要で、気持ちが疲れてしまうのも心の自然な動きです。
加えて、春は、人間の体内で静から動へスイッチを切り替える大きな変化が起こる時期でもあります。内側も外側も動くこの季節は不安定で、実は心身の調子も崩しやすい時期でもあるのです。
コロナ禍の下、自粛、自宅待機など行動制限を体験した人もこれからせざるを得なくなる人もいるかもしれません。「動けない」「出られない」「何もできない」を、必要な時にエネルギーを出力できるための充電期間というように前向きにとらえてみてはいかがでしょうか。
「春眠暁を覚えず」という中国の諺もありますが、春は朝が来たことも気づかないほど寝心地がよいそうです。そのくらい休息と睡眠が必要な時期なのだと考え、ソメイヨシノのように、ゆっくり休むことで自分の体内にエネルギーをためておくのもよいかもしれませんね。
(No.94 2022年4月1日)
ひとやすみとこころの栄養
学生相談室カウンセラー 長谷雄太
はじめまして。今年度から学生相談室のカウンセラーとして着任しました長谷と申します。
これからどうぞよろしくお願いいたします。私はこの大学に来て1か月足らずなので、まだまだ新入生のような、ソワソワした感覚が残っています。
ちょうど4月に入る前、昨年度種から育て始めたサボテンを、少し大きい鉢に植え替え
をすることにしました。まだ針も柔らかく、根を合わせても2センチくらいしかないサボ
テンだったので、傷つけないように神経を研ぎ澄ませて、ピンセットでサボテンを運んだ
のを覚えています。
私としては上手く植え替えられたと思っていたのですが、次の日サボテンの様子を見ると、サボテン全体が赤紫色に染まっていました。慌ててサボテンの状態について調べてみると、サボテンは環境が変わると体の色を変えて「今苦しい!」というのをアピールするそうです。
それからはしばらくむやみに触らず、適度に栄養を与えながら様子を見守っていると、ゆっくり根が土になじみ、綺麗な緑色に戻っていきました。
人間にも環境の変化があると、どれだけ良い変化であっても、サボテンが鉢替えされた
時のような刺激や負担が生じるのではないかと思います。
そして人間の場合、しんどさの表現方法が多様なうえにわかりづらいことも多く、周囲の人々も、場合によっては自分自身もその苦しさに気づいていないことがあるかもしれません。
“五月病”とよく呼ばれますが、新入生も2回生以上も多かれ少なかれ体験した環境の変化によって、心身ともに疲れ始める時期なのではないかと思います。
自分についても、自分の親しい人についても、「いつもとちょっと違う気がするな」と感じたときは、1年間を元気に過ごすためにも、少しゆっくりする時間を多めにとってみることが大切かもしれません。
そして、自分の趣味や大切な人との時間、おいしい食事など、自分にとっての“栄養”となるものを十分に得るようにしてくださいね。
(No.95 2022年5月16日)
「脱ぐ」と「外す」
学生相談室カウンセラー 高石恭子
長かったコロナ禍の自粛生活も徐々に終わり、様々な活動制限が解除に向かっています。
多くの人にとって、それは喜ばしい変化に違いありません。
しかし、環境の変化は、ポジティブであれネガティブであれ生体としてのヒトには等しくストレスであり、心にも負荷をかけます。蒸し暑いこの梅雨の季節、マスク生活から早く解放されたいと願っている人がほとんどだと思います。
しかしながら、いつから、どこで、どんなときに行動に移すのかを考えると何となくもやもやした気持ちになり、先延ばしにしたくなるのではないでしょうか。
マスクを「脱ぐ」。マスクを「外す」。
みなさんは、どちらの表現が今の気持ちによりフィットしますか。
2年余り、家から一歩出るとマスクを付けることが習慣化してしまった今、若い人の中にはマスクを「顔パンツ」と表現する人もいるようです。皮膚に密着し、顔の下半分を覆うマスクはもはや下着のような自分を守る覆いになっていて、それを取ることは、下着を人前で「脱ぐ」ような、恥ずかしさや抵抗を覚えるということです。言い得て妙、ですね。
一方、「外す」にはどちらかというと、与えられた枠や制限から解放されたいという能動的な心の動きが込められているような気がします。もっと、ありのままの自分を全部見てほしい。喜怒哀楽や、葛藤するなまの感情を共有したい。そんな欲求が垣間見えます。
もちろん、みなさんがどちらかに2分されるわけではありません。多くの場合、両方が混じり合った状態で周囲の人々を注視しているのが実際ではないでしょうか。日本の社会は同調圧力が強いので、多数派の行動に従うことで自分を守ろうとする心理が働きます。マスクに限らず、どこまで感染防止対策をするか、ワクチン接種をどうするかなど、次々と個人の判断を要求されるコロナ禍は、日本人の意思決定のあり方の特徴を改めて可視化して私たちに突きつけたのです。
対面授業が増え、いずれマスクなしが多数派を占めるキャンパスライフが実現していくでしょう。「脱ぐ」ことを迫られると感じる人にとっては、これまでより学生生活が不安と苦痛に彩られていくかもしれません。そんなとき、無理をして脱ごうとしないでください、と私は伝えたいと思います。
精神科医の斎藤環さんは、人と(対面で)会うことは「暴力」であると言っています。傷つけ、傷つけられる偶然性に晒され、オンラインのように瞬時にその場から消えることができないからです。そのような暴力に対する感受性の強い人にとって、マスクを脱ぐことは、裸で危険に立ち向かうことを意味します。
コロナ後のキャンパスライフは、「脱がない」人も「外す」人も等しく安心して居られる世界になってほしいと願います。それこそが「多様性」の実現ではないでしょうか。
(No.96 2022年6月20 日)
夏の夜のさんぽ